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みつばち:1

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今週末は2日間にわたって養蜂業界の見本市が開かれた。

1日目: 養蜂家の友だちらと訪ねる。この日は、養蜂家たちが警戒している新たな寄生虫病害がテーマの講演会があった。

私には専門的過ぎる内容だったかもしれない。けれど、とても興味深かったので、講演後にランチを囲みながら、友だちから色々と聞かせてもらった。

「はちみつ」として、私たち消費者の手に届くまでの話し。はちみつもまた、人の手が介在できない・コントロールの及ばない、自然からの恵み。

今、ここで起きている、目の前まで迫っている問題がある。

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2日目:「L'ape va nella vigna( みつばちは、ぶどう畑に向かう)」がテーマの円卓講演会。

ここには、ぶどう栽培を手掛ける大好きな友達に連れて行ってもらった。

ぶどう畑を取り囲むように樹木や生け垣を残し、ぶどう並木の間には草花の生い茂る彼らの畑。みつばちや蝶が飛び交い、ぶどうの木に小さな小さな巣をつけることもある、そんな畑を保全する彼を交えての講演会。きのう聴いた講演会が、理解を助けてくれた。

「自分の畑」にとって良かれと思って施す手入れが、隣接する畑や「暮らし」に異なる影響を与えることになる。そこに暮らすのは、人よりももっと変化に敏感で繊細な虫をはじめとする動植物。

ここにも、互いを思いやる「当たり前の大切さ」が必要だ。

イタリアの人は、個性を大切にしている。いいことだと思う。ワインも例えば、ぶどうの品種の持つ酸味やタンニンといった個性を活かすことを好む。つくり手も、消費者も、それぞれの個性を面白がっているからこそ、バラエティ豊かなぶどう品種から多彩なワインが生まれる土壌が築かれているのだろう。

単一作物の作付により周辺環境が単一化すれば、ひとつの問題に対応できる他の物を外部からもたらさなければならない。一方バラエティ豊かな環境では、ある畑で害虫とされるものを、周囲に暮らす虫たちが捕獲し、ついばみ、自然とそれぞれに良い方法で問題が終息へと向かう。

ここにある、森と共存するぶどう畑の力。みつばちは、もともと養蜂箱の中で一生を送っていた訳では無い。木の幹や土の中など、豊かな自然環境の中で花粉を採取し、彼らの営みを繰り返してきた。

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講演からの帰り道。運転してくれる友だちの傍ら、いろいろなことを話した。

みつばちが心地好く安心して暮らし・働ける環境、そこに後から分け入った人間が「隣人愛と良心」すなわち、 「相手を思いやる気持ちと、イコールに等しい、 自分の行動への責任」をもって周囲に接して・暮らしていかなければならない。そんな当たり前の思いやりが必要だと伝えると、深くうなずいて応えてくれた。

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私は、太平洋岸に面した千葉の漁師町に生まれ育った。かつては親戚の多くが漁業に携わっていた。

彼らの「職場」とも言える「漁場」、すなわち「海」は誰のものでもない、共有財産。
例え、船からの燃料漏れなどあっても、「自分の」漁場だけが汚染されるわけではない。だからと言って無責任には回避することはできない。そもそも、「自分の・・」という発想も無いのではないだろうか?海は共有財産、潮は常に流れ、海に至る河川の汚染から至る連帯責任。

海苔の養殖業者組合は、植林運動に熱心とも聞く。私の地元である太平洋岸で、海苔の養殖を聞いたことはない。しかし、かつてのその植林にかかる費用の話を聞いたことがある。

清い水が流れ、海に至るように。

陸(おか)でも、同じことが言える。自分の区画、他の人の区画と分けて考えないでほしい。
大地は空気と同じで区切りなくつづいているもの。周囲にとっても、互いに好影響な農耕を。
自然の恵みは、みな共有財産なのだから。

by lavitaelevitiasti | 2015-10-25 20:18 | 地域に息づく、味を知る  

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